サラリーマンにも出来る中古マンション最適投資法
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紹介物件その1 鶴見線の駅1分の中古物件
最初に紹介されたのが、神奈川県川崎市のJR鶴見線の駅から徒歩1分の物件でした。
当時、仕事の関係から川崎への出張が多く、
鶴見線のこの方面はよく行っていましたので、
近隣の状況はよくわかっていました。
立地としてはそれほど悪くないと思ったのですが、
実際に見に行ってみると、1階が半地下になっていて、
南前面わずか1メートルのところに隣のマンションが建っているという物件でしたので、
すぐに断りました。
紹介物件その2 堀切菖蒲園の中古物件
2件目が東京の下町、葛飾区堀切菖蒲園の物件でした。
この物件は築年が昭和56年とやや古かったこと(当時で築15年)と、
東京の下町は全く土地勘がなかったため、断りました。
その後いろいろ調べていくうちに、
実は下町の方が安く買える割に家賃が高く取れることを知りました。
紹介物件その3 成城の中古物件
3件目に紹介されたのが、東京の山の手、世田谷区成城の物件でした。
通学で6年間親しんだ小田急線沿線で土地勘もあります。
立地は山の手の高級住宅地で文句なしだったのですが、
これも昭和56年と築年が古めだっただけでなく、
物件の管理状況に問題があったため断りました。
実際に現地を見に行ってみると、
清掃が行き届かず、エントランスはゴミだらけ、ポストはチラシであふれ返っている状態でした。
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●マンション探しを始めてみると
ドル・コスト平均法をそのまま不動産投資に適用するという考え方の根拠は、
会社の「持株会」での成功体験だけでしたから、
今振り返ってみれば「無知というものは恐ろしい」の一言につきます。
ただ、本職が技術研究職なのもあって、
理論的に正しければトライ&エラーを繰り返すことによって成果を出すことができる、
という考え方が身についていますので、その時から即実行に移すこととしました。
まず声をかけたのが、
バブル崩壊のあとも生き残った投資用ワンルームマンションの会社です。
バブル期には勢いのよかったワンルーム投資ですが、
もはや誰も見向きもしなくなっていました。
そんな時代に、「ワンルームを買いたいので物件を紹介して欲しい」
とお願いをすると、営業マンは喜んで新築物件を紹介してくれました。
この時、自宅マンションの失敗で多少の知恵はついていましたので、
新築マンションへの投資は利回りが低すぎて不利であることはわかっていました。
そこで「中古なら買うので、利回りの良いものを紹介してください」
とお願いしました。
最初は新築を売りたがっていた営業マンでしたが、
素直に中古のワンルームマンションを4件紹介してくれました。
すべてが、この会社から物件を買って、
管理を依頼しているオーナーさんからの売り物件です。

●「ドル・コスト平均法」の理論でマンション投資
家賃収入でローン返済できると踏んでの決断でしたが、
実際にやってみると、そんな甘くはありません。
維持管理費や税金で、家計の財布から現金がどんどん流出していく有様。
そこでふと気づいたのが、入社時に始めた会社の「持株会」の仕組みです。
毎月1万円ずつコツコツ積立てて自社株を買っていくことで、
平均すると意外と低い買い値になっているではありませんか。
高い時に株を買ってしまったら、
株価が下がったときに買い足せば、
トータルでは平均コストが下がり、株価が戻した時に利益が得やすくなります。
毎月小額ずつ買い足すことで、
つまりは「ドル・コスト平均法」というお馴染みの原理を知らぬ間に実行していたわけです。
マンションでも同じなのではないどろうか。
高い時に大きな借金で買ってしまったのだから、
定期家賃収入のあるマンションを安く買い足せば、
ローンの返済額よりも家賃収入の方が増えて、
今までとは逆に、お金が毎月家計に入るようになるはずだ。
そんな何とも単純な発想をしたわけです。
(この毎月家計に入ってくるお金のことを、
キャッシュフローと言うのだと後で知りました。)
今思うと、株式投資の「ナンピン買い」の原理で、
戸数を買い増すことで家計の収支状況を改善しようとしたのが、
本格的な投資活動のきっかけだったのです。
この頃は、家計の通帳から現金が流出していく事実が恐ろしく、
何とか毎月通帳に現金が入ってくるようにしないと、
いつかローン破産してしまうのではないかという不安から、
漠然とした概念だけを頼りに手探りで実行に移していきました。
これが私の不動産投資の始まりです。

●バブル崩壊で自宅マンションを賃貸に出す
その6年後の1995年に、家族が増えて自宅の買い替えが必要になりました。
調べてみると、2800万円で購入した自宅マンションが、
知らぬ間にたった数百万円まで値下がりしているではありませんか!
わずか6年間で4分の1以下になる急落ですから担保割れをおこしていて、
売っても借金が返せません。
引っ越しさえできない事態に直面して唖然としました。
バブル崩壊が叫ばれていた時期ではありましたが、
まさかこんな形でツケを払わされるとは思いもよりません。
浦島太郎だった私が、さらに狐に騙された気分でした。
ここに至ってようやく、「不動産の価格というものは、
電気製品の価格体系とは違う世界らしい。
これはお金の勉強をしないと大変なことになる!」と自分の不勉強を痛感したのです。
自宅を買い換えたくても、担保割れをおこしている場合、
大きな問題が生じます。
自宅を売却したら借りているローンの元金を一括返済することになりますが、
値下がりした価格で売却するため、
売却代金だけでは一括返済には足りません。
貯金を取り崩して不足分の返済にあて、
それでも足りなければ、新たにローンを組んで不足分を借入れしなければなりません。
それに加えて、新居購入のために住宅ローンを組む必要があります。
そうなると2つのローンを抱えて、経済的に逼迫することは明らかでした。
手狭でも今の住まいで我慢するのか、
大変でも2つのローンを払う覚悟をするのか、
苦しい選択を迫られました。
何か他に方法はないのだろうか、
月々のローン返済負担を増やさないで新居に住めないだろうかと、
必死に考えました。
本屋に出かけていき、不動産やお金関係の本を片っ端から読み漁りました。
その中で、私の頭に強烈な印象で焼き付けられたのが、
邸永漢氏の「お金のエッセンス」(グラフ社)という本です。
そこに書かれていることは、
不動産をはじめとするお金についての普遍の法則のように感じられました。
私はこの本のなかで、マンションは自分で住むほかに、
他人に貸して家賃収入を得る方法が非常に有効であることを知りました。
「そうだ、今の自宅を賃貸に出せば、この自宅のローンは家賃収入でまかなえるはずだ。
そうすればローン返済負担を増やさないで新居に住める。」

●仕事に没頭するうち浦島太郎状態に
私の父は農家の次男坊として生まれて、
身一つで本家を出て小さな会社に勤め、一生財産とは無縁でした。
私は、そんな借家住まいのサラリーマン家庭に生まれました。
10歳の時、理科の先生との出会いでラジオ製作に目覚め、
以来、大学では電磁気学や無線工学を専攻し、
奨学金で大学院へ進学しました。
理工学研究科の修士課程でも好きな研究を続けて、
専門を生かせる大手電機メーカーへ1983年に就職した、
根っからの理工系エンジニアです。
就職してからずっと自分の年収すら知らず、
専門の研究開発の仕事が面白くて、
徹夜も苦にせずに没頭する毎日。
絵に描いたような、経済音痴の専門バカ・オタク人間でした。
独身時代は、家賃1500円の6畳一間2人同室の寮暮らしで、
徹夜続きの毎日でした。
遊びに行く暇もなく、
入社時に始めた給料天引きの社内貯金(当時は金利6%固定でした)と
財形貯蓄(一般、住宅、年金の3種すべてに加入)、
そして持株会等が、知らぬ間にたまっていきました。
結果として、後にこれが重要な投資の種となったわけです。
でも、当時は土日、盆暮れ正月も仕事続きで、
単に使う暇がなかっただけのこと。
まして、投資など思いつく知恵も時間も全くありません。
ふと気づくと三十路となり、
年齢制限のために独身寮を追い出されることになりました。
入社時、一戸建ては1000万~2000万円だったので、
コツコツ貯まった貯金なら1軒くらいは買えるだろうと思って調べてみると、
時は1989年、まさにバブルのピーク期です。
いくら回りを見渡したところで6000万円出しても一戸建てなど買えません。
不動産の相場なんて、めったに見るものではありませんでしたので、
たった6年間で何倍にも値上がりしているという事実に直面し、
まるで浦島太郎の気分でした。
これからさらに貯金を続けたとしても脱兎を亀が追う如しで、
とうてい追いつくことはできません。
「もっと早くに借金して買っておくんだった!」と、
嘆きながら仕方なくローンを組み、
800万円で東京郊外の2DKの小さな中古マンションを購入しました。